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脱げないワンピース、ピンク色。

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 久しぶりに着たピンク色のワンピースが脱げなくなってしまった。
 チャックが布地を噛んだらしく、うんともすんとも動かなくなってしまったのだ。
 所でわたしの彼氏は、はるはらけんたろうくんと言う人で、短髪と黒縁メガネがよく似合う顔と、勃起すると亀頭がぷるんぷるんに膨らむ素敵なおちんちんを持った人なのだけど、その彼を隣の部屋から呼ぶとわたしは、なんとか脱げないものかと彼に手伝いを乞う。
「これまだ着るの?」
「そういう訳じゃ無いんだけどさ……」
わたしはばつが悪い気持ちでこたえた。わかっている、彼はわたしにこの服を着て欲しくないんだ。
「じゃ、切っちゃえば? 切れば脱げるよ」
「え〜それはちょっと……さ」
この服はいわゆる「甘ロリ」ジャンルのワンピースで、ギンガムチェックの柄の上にさくらんぼの絵がかいてあるのが、とても愛らしい。その上、買ったときは5万もした代物だから、そこへハサミを入れることにはどうしても躊躇いを憶える。
 彼はわたしの背中に回って、チャックのつまみを持ってえいっと引き下ろそうとするけれど、それでもやっぱりチャックは少しも動かなかった。
「これ無理だわ」
「う〜、じゃあ、上から脱げないかなあ」
わたしは脇腹のあたりの布地を掴んで、上へずりずり上げようとした。
 けれど今のわたしのこの服はぴったりフィットしすぎていて、思うように上がってはいかない。
「はうぅ……」
ワンピースの肩部分が頭の方へ上がって、視界を布が隠した。もう少しっ。そう思ったのだが、そこから先がどうにも動かない。
「やばい、どうしよ」
 スカートの裾はパンツが見えないぎりぎりのラインだ。
「ちょっと引っ張ってみるよ」
けんたろうくんはぐいっと服を上へ引き上げる。
 布は肌をぎゅぎゅっと擦って、僅かに上がるけど、わたしを万歳のポーズに固めたままそれ以上動かなかった。
 スカートの裾はさっきよりも位置が上がって、少し涼しい。
「ぱんつ……見えてる?」
「うん、しましま」
正解を告げられるとわたしは「やだあ」と言うと共に思わずしゃがみこんだ。
 何度パンツもその中身も見られていたとしても、見せるつもりのない時にそれを見られるのは恥ずかしい。 
「あ〜もう中途半端な格好恥ずかしいー!」
無防備な姿は無計画でわたしは自分が無様に思えた。
「本当だな」
わたしをからかうように言いながら、彼は服を引き上げていく。
 ぎちっ、ぎちっ、みちみちと、布が軋んで肌を擦り、わたしの方は万歳をしたままワンピースの中で顔面を固められていった
「何かさっきよりやばくなってない?」
「うん、そうかも」
「『そうかも』じゃないよー!」
「これもう着ないんだろ?」
「うーん……外には着ていかないけどさ」
「家では?」
「着たい」
何故ならかわいいから、かわいいのは楽しいから、テンションが上がるから。わたしはそんな風に彼に説明をした。パンツ丸出し万歳ポーズで。
 でもこうなってしまった以上、諦めて服を切って脱ぐべきだ。
 彼はそう主張する。顔も立ち姿も見えないものだから、わたしは声色と方角だけで彼を感じるより他にない。
「お前、ほんとこういうの好きだよなあ」
「だってかわいいもの見ると癒やされるし、つらいときの支えになるし。ピンク色とメルヘンはいつも優しく慰めてくれるんだよぉ」わたしは云う。けれど彼は黙っている。一体どんな顔をしているのだろう。近くにいるはずの彼を感じられなくて、不安のリズムで動悸が刻まれる。
「それにかわいいのって、着てると自分じゃないみたいで楽しいんだ。まったく違うキャラになれるし、鎧みたいなものなんだよ」
この服はもう少し楽しみたい、そう伝えたくて、思いつくままに喋っていたら自分でも無自覚だった部分が掘り起こされてしまったらしく、わたしは自分の言葉に驚いた。
 そうだ。この服は鎧であり、思えばわたしはいつも武装していたのだった。
 何から自分を守っていたかというと、それは寂しさや心細さで、賑やかな服に身を包むことで、かつてのわたしは己の空虚を埋めようとしていたのだろう。
「あのさ、あやこはまだ、そういう『鎧』とか『癒やし』とか『支え』が必要なの?」
 実際には短いであろう長い沈黙の後に、けんたろうくんはこう云った。
「うー……ん」
出来るだけ誠実に答えたい。これは自分にとって大事なことだから。わたしは少しの間思いを巡らせる。
「ごめん、いらない」
わたしの中はもう虚ろではない。愛しの恋人、はるはらけんたろうくんでいっぱいだからだ。埋める必要のないほどに、溢れ出している。
「マジで!?」
驚く彼にわたしはうんと返事をした。
 けれどもわたしは今も弱い人間だ。さっきなんて、ほんの少しけんたろうくんを感じられないだけで、動悸が乱れてしまった。
 レースやフリルの喧噪や、ピンクのチェリーやギンガムチェックに身を任せて武装したところで、それは本当の強さにはならない。ただの誤魔化しだ。実際、かわいいキャラクターものや、ピンク色に囲まれていた時にわたしは強くなれただろうか。答えはノーだ。一人で戦場に出られないわたしは、いつも『ピンク色』の鎧を失うことばかり恐れていた。恐れているうちは、守ること以外の行動が出来ない。弱さが不自由さを産むのなら、強さは自由だ。自由というのは好きなことを好きなときにするということだ。
 わたしは強くなりたい。
 強くなってどうしたい? 自分の楽しいことや好きなことって何だろう? そんなの考えなくても分かっている。いつも身体中で感じていることだ。
「いいよ。やっぱいらない、これ」
誤魔化しじゃなく、ちゃんと強くなりたい。だからこの服はもう卒業したい。今はまだ弱くても。
「それじゃ、切るよ」
彼はハサミをしゃきんと鳴らした。
「いいけど、つらくなったらこの服のかわりにわたしを慰めてよね」
「どうしようかなあ。高くつくよ」
「身体で払うから」
「やれやれ」
そんな言葉を交わしながら、彼はわたしの服にハサミを入れていく。
 しゃき、しゃき、じゃき、じゃき。音が鳴るたびにわたしの服は緩くなって、身体が解放されていった。
 それと同時に、白いシャツを着たけんたろうくんと、丸く出たお腹、それから凜々しい眉毛と黒縁メガネ、そしてわたしの大好きな茶色い瞳が目の前に現れる。彼は口元に笑みを浮かべて、いたずらっぽく笑っていた。
 その顔を見ると、わたしも思わず笑ってしまう。顔面の筋肉がぐっとあがって自分でもわかるくらいの満面の笑みだ。
 わたしはいつもこの人と一緒に笑っていたい。
 だけどもしいつか、彼が泣きたくなるような時には、わたしが支えられるような。そのくらいは強くなっていたい。
 服は見事にまっぷたつになり、ワンピースは平ぺったく開いて床に落ちた。
 わたしはというと、けんたろうくんを前にブラジャーとパンツを着ただけの姿を晒すことになっている。
「えへへ〜ありがと」
わたしはそそくさと、手近にあった白いTシャツとデニムのスカートを着る。
「うん、俺はそっちの方が好きだな」
 じっとわたしを見詰めて、けんたろうくんが云った。
「かわいい?」
「かわいい」
わたしはまた、えへっと満面の笑みを浮かべてしまう。
「ねーねーどっか出かけよう」
わたしは彼のお腹にぎゅーっと抱きついた。 

 

 

<了>